Masuk――冴島くんからの突然のキスにかなり動揺していた私だけれど、幸いにも午前中の業務は大きなミス一つなく無事に終えた(小さなうっかりミスはいくつかあったかもしれないけれど)。
そして迎えたお昼休み――。
「……えっ、キスされた!? あの冷徹お坊っちゃんに!?」
社員食堂で私が朝のエレベーターでの出来事を話すと、真優は思った以上にオーバーリアクションだった。
「しっ! 真優、声大きいよ!」
「ごめん……」
人目も
「これって……エンゲージリング? いつの間に用意してたのよ、こんなもの」 ケースに収められていたのは、0.5カラットくらいのダイヤモンドがあしらわれたシンプルなデザインのプラチナリング。私はあまりゴテゴテしたアクセサリーが好きではないので(というか金属アレルギーだし。指輪は別として)、これくらいシンプルなものの方が嬉しい。「先週、茜さん一人が残業していた日があったでしょう? その日の仕事帰りに、銀座のジュエリーショップで選んだんです。サイズはお母さまに伺いました。七号で大丈夫ですか?」「うん、大丈夫よ。稜也くんがはめてくれる?」「はい……」 私が差し出した左手の薬指に、彼が恐る恐るリングをはめてくれる。サイズはピッタリだった。「嬉しい……、ありがとう。ほら、ピッタリ」「よかった……。これでサイズが合わなかったらどうしようかと思ってドキドキしました。でもすみません、こんなムードもヘッタクレもないプロポーズで」「ううん、ムードなんていいの。私、ずっと待ってたから。稜也くんがいつプロポーズしてくれるのかな、って。だから素直に嬉しいの。ありがと、稜也くん。――それじゃ、私から返事をさせて下さい」「……はい。どうぞ」 ここまでのことをしてもらって、断ったらコントになってしまう。もちろん私は断るつもりなんてなかった。「もちろん、謹
――それからしばらくして、稜也くんのマンションで私たちの同棲生活はスタートした。ちょうど私のマンションの契約更新の時期だったので、それならと引き払って引っ越しを決行したのだ。 彼の部屋は元々一人で住むには広すぎたそうなので(単身向けの部屋ではないので、間取りが2LDKもあるのだ)、私と二人で暮らしてちょうどいいくらいだと彼は言っている。ベッドもダブルサイズなので、夜は同じベッドで眠っている。 家賃は今までどおり彼が支払ってくれているけれど、その分家事は二人で折半することにした。彼が家のこともキチンとできる人でよかった。そうでなければ私の負担分が明らかに大きくなるもの。 やがて、私たちの関係は社内中の人たちの知るところとなり、私は会社でも「未来の社長夫人」として持て囃されることとなった。 稜也くんは相変わらず、私以外の女性社員に対しての態度は塩対応だし、私に話しかけてくる男性社員や役員の人たちを威嚇しまくっている。「もういい加減、それやめたら?」と私は何度彼に苦言を呈したことか。もちろん、それが彼なりの私への愛情表現の一部であることは理解しているけれど……。 そんな中、室長としての責務もキチンと果たしながら、私は一つだけモヤモヤを抱えていた。――実は、稜也くんから正式なプロポーズをまだ受けていないのだ。 同棲もして、両家顔合わせも済んでいるので「今さら」とは思うけれど。やっぱり私としては、結婚の意
『……そうね。あなたのその責任感が強いところを見込んで、私も声をかけさせてもっらったんだもの。そういう理由なら断られても仕方がないわね』「南沢さん……」『尾崎さん、今回のことはご縁がなかったと思って諦めます。ですが、御社との取引は今後も続けるよう兄には伝えておきますね。それはこの件とは関係ありませんから』「えっ、よろしいんですか?」 私が引き抜きの話を断ったことで、せっかくこれまで築いてきた東亜商事との関係がこじれてしまうのではないかと私は恐れていたのだけれど。『ええ。むしろ弊社のためにも、あなたのような方がいる企業様は絶対に手放してはいけないと思うの。それに、あなたを人質に取るような卑怯な手を使うほど、弊社は悪徳企業ではありませんし』 南沢さんはきっと冗談でこんなことをおっしゃったのだと思う。私が気に病まないよう気を遣って。「お気遣い、ありがとうございます。ではお兄さまに――東社長によろしくお伝え下さい。それでは失礼致します」 通話を終えた私は、彼女の番号をスマートフォンに登録せずに発信履歴を削除した。これから個人的に連絡を取り合うことはないだろうし、仕事上の連絡ならオフィスの電話にかけてくるだろう。「――これで一件落着、かな」 今度こそスマートフォンを閉じた私は、パソコンに向かってさっきまで奮闘していた仕事――経費精算の申請書作りを再開したのだった。 * * * *「――おはよう、稜也くん!」 翌朝、私は珍しく会社のエントランスに入る前に彼をつかまえ、自分から挨拶をした。
「……そうかな? ありがと」『でも、それを言ったのが男性だというのは気に入りませんけどね』「…………はぁ」 ……いや、そこで嫉妬心を出されてもなぁ。溺愛系男子はこれだから困る。「稜也くん、そこは別にいいんじゃない? まさか、自分以外に私に話しかける男性全員が気に入らない、とか言わないわよね?」『正直言って気に入らないですよ。できることなら、僕以外の男はみんな茜さんの周りからシャットアウトしたいくらいです。……さすがにお父さまや僕の父はムリでしょうが』「まぁ、そりゃそうでしょ。……でも、言い方はすごく極端だけど、それだけ稜也くんが私のことを愛してくれてるっていうのは分かるよ」『もちろんです。愛してますよ、茜さん』 彼はいつも私に愛の言葉をくれるけれど、一度も薄っぺらかったことはない。全部本気で重みがある。本当に、私一人だけを想ってくれていることが伝わってくるから信じて受け止められる。「ありがとう。私も、稜也くんのこと愛してる。今日は電話くれてありがとう。あなたの声が聞けて嬉しかった」『そうですか。思い切って電話してみてよかったです。本当はビデオ通話にしたかったんですけど……、茜さんにも都合というものがありますもんね』「うん……。確かにビデオ通話じゃなくてよかったかも」 今の私は結構ルーズな部屋着で、スッピンに寝癖のついた頭で絶賛在宅ワーク中だ。この姿を彼に見られるのは女として
――翌日の日曜日は特に何の予定もなく、家にこもって過ごしていた。 座卓の上に領収書やら何やらを広げて在宅で仕事をしていると、スマートフォンに稜也くんから電話がかかってきた。「稜也くん、どうしたの?」『茜さん、……今話して大丈夫ですか? というか、今どこで何をされてるんですか?』「今日は家にいて、今はみんなの分の領収書をまとめてたところ。そろそろ経理部に、経費の精算の申請出さないといけないから』 そういえば、私たちが付き合うことになった日にも二人で残業させられて、遠藤元室長に押し付けられた清算業務をやっていたなぁと思い出す。『そうですか。遠藤さんと違って、茜さんはそういうところキチンとしてますよね。経理部長も喜んでましたよ。「さすが尾崎さん、管理職の鑑だ」って』「それは褒めすぎでしょう。私はただ、管理職として当たり前のことをしてるだけなんだから」『いえいえ、そんなことないですよ。それに比べて遠藤さんはいい加減でしたもんね。茜さんに丸投げして残業までさせて』「……そういえばあったわね、そんなことも」 ちょうど今、彼も私と同じことを考えていたんだなぁと思うと、何だか愛おしく感じた。 私は彼のことをキライになったわけじゃない。顔を合わせないようにしたのはお互い冷静になるためだった。そして今、冷静になった私はこう思っている。やっぱり私は彼のことが好きだから、この先も一緒にいたい。離れたくない、と。「――ところで稜也くん、今日はどん
――翌日の土曜日。私は姉と会うことにした。昨夜のうちに、「会って相談したいことがある」と連絡を取っていたのだ。「お姉ちゃん、せっかくのお休みなのに呼び出してごめんね」「いいよ。茜の方からあたしに『会いたい』って連絡くれるの珍しいもんね。新婚家庭に気を遣ってくれてどうも」 待ち合わせていたファミレスで落ち合った姉は、謝る私にカラカラと笑った。 「今日はね、ダンナは休日出勤なの。だからゆっくり時間取れるよ。――で、あたしに相談したいことって何? なんか相当深刻そうだったけど、愛しの稜也くんとケンカでもした?」 オーダーした料理が来る前に、先にドリンクバーで汲んできたオレンジジュースを飲みながら姉が問うてきた。私もウーロン茶で喉を潤してからおずおずと答える。 姉も姉のダンナさん――義兄も稜也くんのことは気に入っているようで、「あんたたちいつ結婚するの?」と冷やかされているので、これはこれで困っているのだけれど。それはさておき。「ケンカっていうか、私が一方的にやらかしちゃったっていうか……」 私は姉に引き抜き話が来ていること、彼に話したけれど彼から「それは茜さん自身が決めることだ」と冷静に言われて悲しかったことを話した。「でね、『どうして引き留めてくれないの?』って。『私がこの会社からいなくなっても、あなたは淋しくないんだ?』って言っちゃって。……でね、今日と明日はお互いに冷静になって、自分の心と向き合おうってことになって」「……なるほどねー。悪いけど、あたしも稜也くんの意見に賛成だな。別の会社に行っちゃったくらいで終わっちゃうなんて、それだけの関係だったってことなんじゃないの? でも、あん







